地蔵通り商店街入り口付近で行われていた、
(この地は、以前すがもん案内所と、すがもんのお尻があった場所です。)
巣鴨遺跡発掘調査見学会に参加してきました。
平日の日中に開催している割には結構な人数の参加者がいました。
全体的には、時間に融通が利く主婦や学生が多かったように思います。
簡単に受付を済ませ早速、調査員の方の説明を聞きます。
赤土は関東ローム層
まず、今回発掘調査している地層は江戸時代の地層になるそうです。
こちらの場所には、信濃松本藩の水野家のお屋敷があった場所ですが、
1725年に水野家が不祥事を起こして改易されると、他の大名や旗本、御家人の屋敷に分割されました。
今回発掘調査を行っている場所が、水野家から分割後に住んでいた
越後三日市藩の柳沢家の屋敷と推定される場所となります。
写真手前の穴の空いている赤茶色の土が、中学校の時に習った関東ローム層になります。
関東ローム層は火山灰が滞積した土で、やや古い地層ですが柔らかくて掘りやすい地層です。
写真の奥の方に見える黒い土が、関東ローム層よりも新しい地層です。
少しずつ黒土を削り取っていくと、関東ローム層が浮き上がってくるそうです。
穴が空いている箇所には、黒土が詰まっているので、その黒土を綺麗に取り除いてやると
このような、穴が綺麗に掘り起こされると言うことです。
穴の中には、土取りをして開いた穴だったり、当時のゴミ捨て用の穴、
植木などの跡である可能性が高いとのことでした。
今回の発掘調査では、江戸時代以降の焼き物が多く発見されています。
水野邸だった時代も、柳沢邸だった時代も建物の詳細な情報が不明なため
発掘場所が、庭先だったのか建物の真下なのか分からないそうですが
発掘調査をしてみた感じからすると、
建物の下と言うよりは、庭先に近いイメージとのことでした。
発掘調査をした中で深いところでは、
身長より高い2メートル以上の深さの場所もあります。
目で見た限りでは、地蔵通りの眞性寺側に当たる
写真左下辺りが一番深いところになります。
水野家の広大なお屋敷
こちらが、水野忠恒が幕府にボッシュートされた土地の広さです。
大体、現在の巣鴨駅辺りから地蔵通り商店街の庚申塚の辺りまで
広がる広大な土地だったようです。
42,900坪の土地を幕府に返上したそうです。
2016年の巣鴨の平均坪単価が284万4,177円/坪なので
土地代だけで1,220億円になります。
その後、切腹は免れて家名は存続できたようですが
代償は安くなかったようです。
出土品の数々
出土品のSNSへの投稿がNGだったのでこちらの掲示物をご覧下さい。
中央に見えるのが、通い徳利で明治期の物ではないかとのことでした。
通い徳利は、今のビールビンのように酒屋さんが、お得意さんに貸し出しをして
お客さんは、通い徳利を持って酒屋までお酒を買いに行くシステムだったようです。
そのほかには、焼き物の皿や器、子供の遊び道具の泥メンコや土製人形
などが多く出土しているようです。
発掘見学会は、20分ほどでしたが当時の巣鴨の町並や
生活習慣を沢山知ることが出来きました。
発掘場所は、いずれは道路の拡張工事を行うそうですが
今後もどのように変化をして行くのか引き続き、お追っていきたいと思います。
“巣鴨の遺跡発掘調査見学会で調査員に聞いてきた。” への3件のフィードバック